伊賀勢最後の砦 柏原城(瀧野城)
天正9年(1581年)、織田信長の次男、信雄を総大将とする4万数千人の軍勢が伊賀に攻め込みました(第二次天正伊賀の乱)。滝川一益や、のちの名張藤堂家初代となる藤堂高吉の実父である丹羽長秀など、織田信長の重臣たちが数多く参戦しています。
数で圧倒する織田軍は、ほどなく伊賀を制圧しますが、最後に名張市赤目町にある「柏原城」に伊賀各地から集結した地侍や老若男女、総勢約1600人が籠城して抵抗しました。当時の城は、石垣や天守閣がある城ではなく、自然の地形を利用したもので、まさしく「砦」。柏原城もまた、小高い丘陵で見通しがよく、周囲の川はお堀として機能し、背後が山で攻められにくく、一方で隠れるのにもうってつけでした。
籠城の末、和睦により城を明け渡し、伊賀全土を焦土と化した天正伊賀の乱は終結。信長が討たれた「本能寺の変」の8カ月ほど前のことでした。
地元有志による整備が進む
10年ほど前から地元の有志が整備を進め、今では土塁をぐるりと散策できるまでになっています。
【あかめ里山保全会の宮本篤さん】
柏原城は、土塁や空堀で守りを固めていたあとが今も残ります。ただ、竹林や雑木が生い茂り、その全景を知ることは難しい状況でした。そこで、地元の有志で、木の伐採や下草を刈るなど整備を進めています。
いずれは、城跡に物見やぐらや砦の柵を再現するのが夢。城を見上げることができる公園も整備していきたいですね。たくさんの人がこの地を訪れ、その魅力に触れていただき喜んでくれると、私もとっても嬉しく思います。