母が認知症になって、気付けたことがある
岩木寛人さん(訪問美容師・介護士)
ある日、母から「料理が作れない」「買い物で計算できない」と泣きながら電話が…。「若年性アルツハイマー型認知症」と診断を受けたのが7年前。母が54歳、私が27歳の頃でした。悩みながらも大阪から帰郷し、母の介護をすることに。病気の進行や医療費のことなど不安でいっぱいの私を、友人やまちの保健室職員などが、親身になって支えてくれました。今でもずっと感謝しています。
その間、友人の励ましもあり、訪問美容の道へ。髪を切ってキレイになると、皆さんすごく喜んでくれます。時には、介護の相談を受けることもあり、「自分にしかできない仕事」と誇りを持つように。介護や手話、心理カウンセラーなどの技術も一つひとつ身に着けているところです。それは、どんな困難がある人にも寄り添えるようになりたいから。自分もずいぶん助けてもらいましたからね。
最近は同級生などと、地域の催しで焼きおにぎりを販売。その売上で保育園や児童養護施設にプレゼントを配る活動も始めました。まちのために「何かしたい」人も多いので、自分たちのチャレンジを見てもらって、心に火をつけてもらいたいんです。
田舎が嫌いで東京や大阪で働いていた私。名張で人とのつながりの大切さに改めて気付かされ、自分らしく生きているなって感じます。母の笑顔をとなりで見ていると、これでよかった、幸せだなって思うんですよね。
PROFILE
いわき・ひろと ● 東京や大阪で会社員をしていたが、母親が認知症と診断されたことをきっかけに名張へ。帰郷後しばらくは母親の介護で悩んでいたが、友人などの支えで訪問美容の道へ。母・朝子さんの大好きな紫色の毛先がトレードマーク
伊賀タウン情報YOU 伊賀ドキの人「地域福祉に浸透した活動」
https://www.iga-younet.co.jp/2023/01/30/69512/
「広報なばり」2024年10月号に掲載