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みんなの「得意」で、みんなハッピーに!

大久保浩美さん(蔵持市民センター職員)

中学2年の長女は3万人に一人の難病を抱え、左半身まひの障害もあります。「やればできる」を体験をさせてあげたいと思い、小学校を卒業する際、娘が好きな絵本を親子で制作して、支援いただいた先生に手渡すことに。すごく喜んでもらえたので、娘もとっても嬉しかったようです。

娘と作成した2冊の絵本は、児童発達支援センター「どれみ」で閲覧できる

そんな娘が小さい頃、よく面倒を見ていただいた人から「子どもの思いを大切にしてあげて」「子どもの手が離れた時、同じように、他の子どもを大切にしてあげて」などと言葉をかけてもらったことが忘れられません。

「NEW!!」がテーマの2023年の市民センター祭では、小学校も会場に。
運営スタッフを募集したり、小中学校とコラボしたりするうちに、新たなつながりが増えていった

 「子どもたちが集える市民センターに」という先輩職員の思いにとても共感できたのも、その言葉があったから。昨年秋の市民センター祭では、中高生を含む運営スタッフが活躍したり、中学・高校の部活動とコラボしたり。今年の夏は、親子で楽しめるゲームやアート、科学実験、星空観察など、30近くの催しを繰り広げます。工作が得意な人、料理好きな人、自作のパズルを考えた人、ピザ釜をつくる人など、みんなの「得意」を合わせると、いろんなことが実現できるんですよね。

市民センターのイベントスタッフには、高校生や子育て世代の顔もたくさん

 「私なんて…」という人も意外な特技があったりして、みんなに喜んでもらっているのを見ると、私まで嬉しくなる。地域に楽しい「つながり」を広げながら、「なんでもやるやる。くらもちやで。」というロゴを掲げ、みんなで盛り上がっているところです。

みんなの「得意」とすることを集めていくと、「なんでもやるやる!」に行きついた

PROFILE

おおくぼ・ひろみ ● 看護師やイラストレーターの経験を生かして、難病や障害のある娘と絵本を制作。昨年6月からは市民センターで広報紙やチラシ、ロゴマークを制作するなど、多彩な表現力を生かしながら人と人をつないでいる。



大久保浩美さんと長女の朱莉(あかり)さんが、小学校を卒業する際に作成した2冊の絵本。

左は、朱莉さんが幼いころに語った障害でパニックになる頭の中を図書館に例えた話を、次女が構図を考え、浩美さんがイラストを描いた作品「あたまの中のとしょかん」。

右は、朱莉さんが大好きだった先生に、文章と絵に思い出や感謝の思いを込めた作品「石橋先生とわたしの5つの思い出」。

伊賀タウン情報YOU 絵本で「先生に感謝」 難病や障害のある12歳少女が制作
https://www.iga-younet.co.jp/2023/04/05/73469/


「あたまの中のとしょかん」の巻末には、浩美さんから長女の同級生に宛てた手紙が綴られています

6年生の皆さんへ

こんにちは。大久保朱莉の母です。
修学旅行は楽しかったですか?疲れは残っていませんか?今日も元気ですか?
今日は、朱莉の母として、普段思っていることを皆さんにお伝えさせてもらいたくて、手紙を書きました。

 まずは、皆さん、いつも朱莉を助けてくれて、本当にありがとうございます。

 朱莉の持っている病気は、治療法がない『指定難病』で3万人に1人と言われる『中枢性尿崩症』と、右脳が左脳より少し小さい『右脳萎縮』があります。そのために、左半身麻痺や感覚障害など、朱莉の身体の中では今も色んなことが起こっています。私たち家族は、朱莉の持っている病気と一生つきあっていきます。でも、誤解して欲しくないのは、私たち家族は「今、幸せですか?」と、誰かに尋ねられたら「はい、幸せです。」と迷うことなく答えることができます。

 人の身体ってとても不思議で、色んな作用がうまく働き合い、生命を維持できるようにできています。だけど、世の中にはたくさんの病気があり、まだ発見されていない病気もあります。病気になったり、身体や心の具合が悪くなったりする事は誰にでも起こることです。病気になることは特別ではないし、可哀想なことでもありません。でも、だからこそ、たった1人しかいない自分を、どうか大事にして欲しいと思っています。

 朱莉は産まれた時、他の赤ちゃんよりも体重もあり、両手足も周りの赤ちゃんと同じように動いていました。でも、産まれて3ヶ月頃、急に吐き、高熱が出ました。どこの病院でも原因はわかりませんでした。朱莉が1歳になる頃、病院の先生から私は「右脳が萎縮している」「手足の麻痺は治らない」と、言われました。それから『中枢性尿崩症』も、あることがわかりました。これらの病気がわかるまでに、小さな朱莉は、血液検査やレントゲン、CTや脳波の検査の他に、腰の骨と骨の間に針を刺す検査、おしっこが出るところから1日何回も管を入れておしっこを取って成分を見る検査、1日16時間何も飲まない食べないという検査などしました。そんな辛い検査をして朱莉の病気はわかりましたが、これらの病気は治らないことに変わりはありませんでした。
 
 問題は病気のことだけではありませんでした。朱莉が3歳の頃「変な歩き方をしてる」と、知らない子ども達にかこまれて歩き方の真似をされ、からかわれました。保育園では、遊んでいた子に「足の遅い子は友達じゃない。」と、靴を遠くに投げられました。保育園からの帰りの車の中で、朱莉は「私は友達だと思っているのに、なぜ友達でいられないんだろう。」と、ワンワン泣いていました。私は朱莉に「あの子が朱莉と『友達でいたくない』と思っても、朱莉は友達だと思っていたらいい。いつか、その子がまた朱莉と『友達になりたい』と思った時に、朱莉がその子に『友達だよ』って言ってあげられたらいいね。」と、話しました。私は、朱莉にそう話すことしか、できませんでした。

 そんなことがあったからなのか、朱莉は小学校に入学して新しい友達ができるのを、とても楽しみにしていました。皆さんと一緒に勉強すること、給食を食べること、遊ぶこと、その一つ一つをキラキラした気持ちで待っていました。

 でも、朱莉は小学一年生の時に学校に来れなくなりました。遅くても走れていたのに、立つことも出来なくなりました。1人で出来ていたトイレも行けなくなり、オムツをすることになりました。毎日笑っていた朱莉は、家の中で笑うことも泣くこともしなくなりました。教科書やランドセル、学校のものを見ることもしなくなりました。私は「朱莉のお母さんなのに」また、何もできませんでした。

 そんな朱莉に、お母さんと一緒に電話をかけてきてくれた子、手紙を書いてくれたり、交換日記を始めてくれたりした子たちがいました。皆さんからのメッセージも届きました。でも、朱莉はみんなからくるお便りを見ることができず、私が読んで聞かせていました。それでも、手紙をくれ続けていた子の「あかりちゃん、今日は晴れていたよ。」という手紙で、朱莉は皆さんからの手紙や日記を、少しずつ読むようになりました。みんなのおかげで朱莉は徐々に学校のことを思い出し、皆さんのいる学校に戻ることができました。
 
 この時、朱莉だけでなく、私も皆さんのお母さん達にたくさん助けてもらいました。皆さんと皆さんのお母さん達の助けがなかったら、朱莉が、この学校に戻ることはできませんでした。
 
 「みんなと一緒に走りたい」と願って、リハビリを頑張って朱莉は大きくなりました。身体のしくみは本当に不思議です。筋肉の力も強くなり麻痺は軽くなる、そう思っていました。しかし、逆にその力に引っ張られて骨をも変形をさせる程、朱莉の麻痺は強くなってしまいました。朱莉は3年生の夏休みを待って、足のすじを切る手術のために入院することになりました。

 5年生の時には、突然吐いて止まらなくなり、たったの2時間で意識が遠のく程の重度の脱水になり緊急入院をしました。24時間点滴に繋がれたまま、どんなにのどが渇いても口から水分を摂ってはいけないと言われ、夜中も眠れず、ずっと10〜15分ごとに、うがいだけで過ごしました。
 
 そんなことがあり、5年生での曽爾のキャンプも、一時期、朱莉は不参加にする話がでたこともありました。でも「みんなと一緒に山に登りたい。」と言う朱莉に対して、どうしたら朱莉がみんなと曽爾で山に登ることができるのか、学校の先生達は一生懸命考えてくれました。朱莉はみんなが曽爾に行くよりも前に、9月に入って週末ごとに曽爾に行き、山登りの練習をしました。練習では、すごく時間がかかっていた山登りも、当日はみんなに励まされて、一緒に山に登ることができました。私は、遅い朱莉のペースに合わせて朱莉がころばないように介助しながら山登りの練習をした時、とても大変でした。だから、当日、皆さんも先生も朱莉のペースに合わせ、朱莉を励ましながら山に登るのも、大変だったと思います。

 6年生になってから今までの薬が効かなくなり、1日に7リットルのお茶を飲み、4リットルの尿を出し、身体に3リットルも水が溜まるようになってしまいました。皮膚には亀裂が入り、虎のような模様ができました。このままだと、身体の中の血液は、ますます薄まり心臓を動かせなくなってしまいます。水分が身体から出過ぎてもだめ、水分を摂りすぎてもだめなのです。みんなと山に登ったの朱莉の体力は、週末は殆ど出かけられないくらい落ちてしまいました。

 急遽、入院をして薬を変更することになりましたが、舌の動きがうまくできない朱莉は薬を飲む練習からでした。そして、薬の量を少しずつ増やしていき、ちょうどよく薬が効く量がわかるまで、朱莉は毎日暑い砂漠にいるような口の乾きと戦うことになりました。みんなと一緒に「修学旅行に行きたい」と、頑張っていた朱莉でしたが、この時「こんなにお茶を飲みたいのに、なんで飲んじゃだめなの。いつまで我慢すればいいの。」と、12年間で初めて朱莉が病気のことで怒り、激しく泣くのを見ました。

 また、入院のたびに朱莉は「みんなが私を忘れてしまうんじゃないか。」と、言っていました。今回もそんな不安と、口が渇いても水分が摂れない、今までで一番辛い入院でした。そんな中で、泣きながらでも「みんなと一緒に修学旅行に行く。」という、朱莉の気持ちを支えてくれていたのは、毎日iPadへ届く皆さんからお便りや、メッセージが書かれたスケッチブックでした。薬の調整がすんで家に帰ることになりましたが、毎日、薬の効き具合を見て、次の薬の量を変えなくてはいけません。薬が効かなくてもだめ、効きすぎてもでだめ。そのために毎日、体重測定をして、尿の色を見てその日の薬の量を決め、水分制限をする生活が始まりました。

 落ちた体力はなかなか戻らず、今も休憩を入れないと動けない朱莉ですが、クラスの皆さんのことが大好きです。学校から帰ってきて「〇〇くんが筆箱を拾ってくれたよ。嬉しかったよ。」「○○ちゃんが鉛筆を拾って、優しくしてくれたよ。」「○○くんの冗談が面白かったよ。楽しかったよ。」「○○ちゃんが心配してくれて声をかけてくれたよ。」など話してくれます。

 障がいと病気を抱えながら、朱莉が皆さんと一緒に過ごすことは簡単なことではなく、私も先生達も朱莉が命を落とさないように毎日色々考えています。同時に、クラスの皆さんも朱莉のために、毎日、我慢してくれていること、譲ってくれていること、してくれていることがたくさんあることを、私は朱莉や先生から聞いています。皆さんにごめんなさいやありがとうが言えてないことが、たくさんあると思います。

運動会の時、走れない朱莉のために代わりに走らせて、ごめんなさい。
やりたい遊びがあったのに、朱莉のために違う遊びをしないといけなくなって、ごめんなさい。
座りたい席があるのに、朱莉のために譲らないといけなくなって、ごめんなさい。
みんなだってやりたい事がたくさんあるのに、いつも朱莉のために待たせて、ごめんなさい。
どれだけ工夫しても物を何度も落としてしまって、ごめんなさい。

運動会の時に朱莉の分まで走ってくれて、ありがとう。
朱莉が参加できる遊びを見つけてくれて、ありがとう。
朱莉の身体のことを考えて、気持ちを言えず我慢してくれて、ありがとう。
朱莉のことで困ったことを伝えてくれて、ありがとう。
いつも遅い朱莉を待っていてくれて、ありがとう。
朱莉が物を落としてしまっても拾ってくれて、ありがとう。

朱莉に「頑張れ」って励ましてくれて、ありがとう。
朱莉と遊んでくれて、ありがとう。
朱莉の左腕を撫でて力を抜いてくれて、ありがとう。
朱莉が入院した時、私と妹の実乃里も、家族全員で助けてくれて、ありがとう。
「なんだか何度も行ったり来たりしているな」って言いながら
朱莉を見守ってくれて、ありがとう。
「あかりちゃんにとっては病気があることが普通」と思ってくれて、ありがとう。
「一緒に生きていきたいと思います」って手紙に書いてくれて、ありがとう。

朱莉と一緒に毎日を過ごしてくれて、ありがとう。
書ききれない程のたくさんのありがとうをくれて、本当にありがとうございます。

 朱莉は、突然の病気でできなくなったこともあるけれど、病気になったから、できた経験が、私たちにはたくさんあります。私たち家族が、どう生きていくかを考えることを、これからも諦めないでいたいと思っています。私たち家族のことで困ったことがあったら、どうか伝えてください。命を守りながら、皆さんと社会の中で生きていける方法を考えます。そのために一生懸命考えます、考えて行きます。

 朱莉のことだけではありません。どうか、皆さんも自分の心と身体を大事にしてください。自分の大切な人も大事にしてください。これから先、皆さんに、思ってみないこと、思うようにいかなくて辛く悩むことがあるかも知れません。そんな時、自分が辛くなったり、寂しく悲しくなったり、自分ではどうにもできないと思ったら、必ず誰かに助けてって言ってください。朱莉がみんなと同じ景色を見るために、皆さんからたくさんのありがとうをもらい、周りの人達の力を借りながら、色んな方法を探して試して、今ここにいるように、必ず何かの方法があります。時には失敗をすることもあるし、思い通りにならないこともあるけれど、一緒にみんなで考えられる社会にできたらいいと、私は思います。

 今日は、私の手紙を聞いてくれてありがとうございました。
残り少なくなってきた蔵持小学校での日々。皆さんが楽しく元気に過ごして一緒に中学校へ行けること、そして、皆さんの幸せをいつも願っています。

大久保朱莉の母 大久保浩美